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NOAH

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プロレスリング・ノア
2000年6月に全日本プロレスを離脱した三沢光晴を中心に結成されたプロレス団体。法人登記名は、株式会社プロレスリング・ノア。英語表記:Pro-Wrestling NOAH、略称:ノアNOAH


旗揚げの経緯

2000年6月、ジャイアント馬場死後の全日本プロレスの体制に強い不満を抱いていた選手達が団結し、三沢光晴が中心となって離脱・旗揚げした。離脱者は川田利明・渕正信・マウナケア・モスマン・馳浩の4名を除く全選手、和田京平ら一部従業員を除く20数人というほとんどの社員となり、日本のプロレス史では最大規模となる総勢約50名強の旗揚げとなった。

旗揚げ戦は同年8/5に事務所、道場、合宿所がある東京のディファ有明で開催。旗揚げ戦を含む3会場、6,000枚のチケットが1時間足らずで完売し、注目度の高さを示した。その後、地方興行や有明コロシアムでのビッグマッチなどを重ね、2001年7月に日本武道館で初興行を開催。以後、2006年、2007年には年7回(1月、3月、4月、7月、9月、10月、12月)に渡って、武道館で興行を開催している。 2004年7月10日、2005/7/18に特別興行としてプロレスリング・ノア 東京ドーム大会を開催した。

将来的な統一機構の設立を目指した団体連合組織「グローバル・レスリング連盟」にも参加し、今までにない交流関係を築き上げるのかと期待されたものの、現在は頓挫しているのか、動きが一切見られていない。2009年に新日本プロレス・全日本プロレスと共に打ち出した共通ライセンス構想も後に頓挫しており、他団体との交流という面ではこれまで苦戦している。

2001年4月から2009年3月まで、プロレスリング・ノア中継として、日本テレビでの全国ネット地上波放送番組枠を確保していた。2009年4月からはテレビ大阪でノアぷ〜として試合が放送されたが短期間で打ち切られた。

2009/6/13、三沢光晴が広島大会での試合中に事故死。翌月に人事が一新された結果、田上明が社長に就任。小橋建太、丸藤正道の両副社長とのトロイカ体制で経営に当たる。

団体名の由来

団体名の由来は、旧約聖書の創世記に登場する人物。詳細はノア (聖書)を参照。団体のロゴには創世記の中で、オリーブの葉をくわえて戻り、嵐が終わったことを知らせた鳩が使われている。聖書に由来する単語を用いてはいるが、宗教的な意図は無い。

単発興行のタイトルは「Departure(出航)」、「GREAT VOYAGE(偉大な航海)」、シリーズ名には「Navigation(航海)」(2008年より「Navig.」と略して表記)というタイトルが用いられ、団体の運営は航海に擬えられている。

ファンクラブ名は「ノアの方舟」を意味する「NOAH'S ARK」。


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団体の特徴

現在日本武道館大会を定期的に実施している団体はノアだけである。2007年12月2日に行われた小橋の復帰戦、2009年9月27日に行われた三沢の追悼興行では、2階席の最上階まで立ち見指定席を設け、超満員札止めとなる17000人の観衆を記録したが、武道館興行も減少して代わりにJCBホールや有明コロシアムが使用される頻度が増加した。

プロレス人気低迷以降に創設された団体であるため、プロレスファン以外の層における知名度の獲得に関しては新日本や全日本といった老舗団体と比べて苦戦している感があるのは否めない。他団体との交流については活発化・断絶を繰り返す例が多く、2011年現在は新日本や健介office・IWA JAPANとの関係が良好な一方、ZERO1-MAXなどとは関係が途絶えているほか、全日本とは微妙な関係にある。

団体の特徴

現在日本武道館大会を定期的に実施している団体はノアだけである。2007/12/2に行われた小橋の復帰戦、2009/9/27に行われた三沢の追悼興行では、2階席の最上階まで立ち見指定席を設け、超満員札止めとなる17000人の観衆を記録したが、武道館興行も減少して代わりにJCBホールや有明コロシアムが使用される頻度が増加した。

プロレス人気低迷以降に創設された団体であるため、プロレスファン以外の層における知名度の獲得に関しては新日本や全日本といった老舗団体と比べて苦戦している感があるのは否めない。他団体との交流については活発化・断絶を繰り返す例が多く、2011年現在は新日本や健介office・IWA JAPANとの関係が良好な一方、ZERO1-MAXなどとは関係が途絶えているほか、全日本とは微妙な関係にある。


運営方針

三沢光晴が全日本プロレス社長時代では実施できなかった、大型のセット、ライトアップ、花道など華やかな演出を充実させた。しかし、リング上の試合内容は全日本時代から大きな変化はなく、三沢が「スポーツライク」と表現する、伝統的な駆け引きや受けの美学を中核とした試合を行っている。アングルは1シリーズ内で終わる程度の短期間である。各選手の素の属性に関連したものが多く、リング外での活動はあくまでも添え物程度である。

競技性以外の要素としては、セガのゲーム『甲虫王者ムシキング』とタイアップした覆面レスラームシキング・テリーを登場させ、同ゲームの主要対象の少年層に訴求したり、笑いの要素の強いコミカルな試合も興行の中に組み入れている。グッズ売り場では、1回500円で三沢の名刺が入ったケースなどの小物、選手のコスチュームなどの愛用品、直筆サイン色紙、ポスターや過去の大会のパンフレットなどがもらえる「のあのあクジ」を行っている。試合開始前、休憩中、試合終了後には選手によるサイン会や撮影会を日替わりで開催している


マッチメイク

2007年に入るまでは、好カードと呼ばれる組み合わせを乱発せず、ビッグマッチ用に温存することが特徴。大会場のメインイベント級のカードを大量消費してしまうリーグ戦は原則として行わなかった。カード温存の理由としては、選手への負担が高く負傷の原因となる点が挙げられている。これは過去の激しい消耗戦を体験している三沢社長の意思と言われているが、内部からも反対意見が出ることがある。また関東圏でのビッグマッチ、特に武道館におけるビッグマッチに力を注ぎ、地方ではビッグイベントが無いとの不満が特に地方都市在住のファンから指摘されている。2007年以降にジュニアタッグリーグ、GHC王者挑戦権獲得リーグ、若手のみのモーリシャス杯、グローバル・タッグリーグなど、多数のリーグ戦が行われたことから、この規制は解除されている。

他団体と比較すると軍団やユニットなどの数が少なく、チーム対抗戦などは行われていない。各ユニットは敵対関係にはなく、マッチメイクの目安程度として位置付けられている。ユニット間を超越したタッグ編成もしばしば見受けられる。基本的に選手に自由にさせているといえ、特に地方の興行ではコミカル路線が多く見られる。最近では、ユニットを組むケースも増えている。

ジュニアヘビー級

王座には階級の区別があることを除き、試合はヘビーとジュニアヘビー(以下、ジュニア)を等しく扱っている。そのため、ヘビーとジュニアの混合試合は日常的に行われている。

混合が当たり前のように行われているノアにおいては、ヘビー級のベルトにジュニアの選手が挑戦することも珍しくなくなっている。実際に2002年には小川良成、2006年には丸藤正道がジュニアヘビーの選手ながらヘビーのベルトを手に入れている。日本のプロレス史上初めてヘビー級のタイトル戦を丸藤(王者)対KENTA(挑戦者)というジュニア同士で行った。

ジュニアヘビーという階級が出来た後もプロレスの花形はヘビーの対戦と考えられ、ジュニアの選手がメインを飾るということは考えられなかったが、ノアでは金丸義信や丸藤正道、KENTA等のジュニア戦士が、全日本時代の「四天王プロレス」を髣髴とさせるような好試合をするようになる。彼らのうち丸藤正道とKENTAが俗に言うイケメンであり、試合のスタイルも華やかな動きと緩急で魅せる丸藤、キックスタイルのKENTAと素人にも非常に分かり易いこともあってか彼らを目当てにした若い女性客が一時的に増えた。しかしこれらの選手が結婚したこともあり、ノアの生命線とも言える女性ファンが減少してきている、と仲田龍は語っている。

フリーランスへの待遇

団体発足当時は団体の意向もあり、他団体の選手やフリーの選手がリングに上がることは少なかったが、ゼロワンとの対抗戦で大谷晋二郎&田中将斗の炎武連夢(エンブレム)や高岩竜一らが継続参戦をしたあたりから他団体選手もよく上がるようになり、最近では国内外問わず頻繁に団体外の選手が上がっている。現在の対抗戦の基盤を作ったともいえる獣神サンダー・ライガーのGHCジュニア王者時代には、他団体ヒールという自分の立場を最大限に利用してハジけまくり、大ブーイングを生み出し観客を大いに沸かせた。常連のフリー選手ともなると「給与形態以外は全て所属選手と同じ」ということも多く、テーピングなどの会社の備品を使ったため、本来は選手会興行に出場しないはずの選手が強制参加させられたことがあった。

団体内の雰囲気

ノアでは、入門が早い、先輩という立場の選手であっても、レスリングなどで実績がある年上の後輩には「さん付け」で呼んで敬語を使うケースがよく見られる。例を挙げると、力皇猛は入門前に大相撲で前頭四枚目まで登り詰めた実績があるものの、相撲を経験してから入門した為随分年下の森嶋猛や丸藤正道らよりプロレス界では後輩になる。力皇は彼らを「さん付け」で呼ぶが、森嶋や丸藤らも力皇に「リキさん」と「さん付け」し、敬語を使っている。杉浦貴も自衛隊でレスリングの実績を積んでいた関係上、入門が遅れているが、金丸義信らは「杉浦さん」と呼び、敬語を使う。その他、レスリング界で随一の実績を持つ本田多聞も入門が遅れているが、小橋建太はプライベートでは「本田」とは呼ばず、「本田選手」「多聞ちゃん」などと呼んでいるほか、秋山準も「本田さん」「多聞さん」などと呼ぶ。ただし齋藤彰俊は、自身より年下でデビューも遅い秋山に対して「秋山選手」と呼んで敬語を使うのだが、その秋山より先輩である井上雅央に対しては「マサオ」と怒鳴ったような口調で呼んでいる。

他団体との交流


新日本プロレス

かつては秋山と永田裕志の会合を皮切りに新日本プロレスとは三沢-蝶野正洋ラインを中心に行われ、GHCジュニアヘビー級王者になっていた獣神サンダー・ライガーが参戦した2004年7月のノア東京ドーム大会まで本格的な交流が続いた。その後、交流は途切れるが、2005年5月の新日本東京ドーム大会に三沢光晴が参戦し約10か月ぶりの交流が実現。そのバーターとして棚橋弘至が同年7月のノア東京ドーム大会に参加した。しかし2006年になって、2005年のサイモン・ケリー猪木の新日本プロレス社長就任会見での「ノアとの交流は白紙にする」との発言を受け、ノアの仲田龍が日本テレビとテレビ朝日の間で交わされた交流戦に関する覚書を一方的に白紙にされたとコメント。そのうえに最大のスポンサーである日本テレビに立つ瀬が無いとして、2006/5/13付けの東京スポーツ紙上において正式に新日本プロレスとの交流断絶を表明した。しかしながら東京スポーツの報道は誤報で、その後に発行された週刊ゴング誌のインタビューでは仲田龍自ら覚え書きや契約の存在を否定し「こっちの選手が向こうに上がったら向こうの選手がこっちに上がってもらうという約束が守られなかった」と発言した。

テレビゲームへの選手登場を要請した新日本プロレスの親会社ユークスに対しても「巨人の選手が中日新聞に協力するようなことは無いでしょう(※)。よって辞退しました」としている。中日新聞社は中日ドラゴンズの親会社である。2006年7月に発売されたレッスルキングダムPS2版がユークスのゲームにノアの名前と所属選手が登場する最後のゲームとなっている。

(※)1967年に中日新聞が東京新聞と復縁する以前は、中日新聞と読売新聞は提携関係だった。

事の発端となったサイモンが新日本プロレスの社長辞任後の2007年4月26日にノア事務所を表敬訪問し、仲田と和解したと東京スポーツで報道された。記事によると今後はサイモン主宰のLA(旧新日LA)道場にも機会があれば協力するがその後は話に進展はなく交流もないとのこと。同じくサイモンが関わると言われているイノキ・ゲノム・フェデレーションに関しては協力する意志はないという話ではあった。ノアの常連外人でROH所属のロッキー・ロメロ(注:元々はLA猪木道場の道場生でもあるりIGFの旗揚げ戦に参加している。

その後、2008/8/26に行われた、新日本プロレスの主催によるレッドシューズ海野レフェリー20周年記念興行において、仲田、三沢両名がお祝いVTRで登場。興行後の海野の会見でノア勢の参戦も予定されていたことが明かされている。2008/9/6、日本武道館大会の会場を裕次郎と内藤哲也のNO LIMITが視察。GHCジュニアタッグへの挑戦を表明し、2008/9/14のノアの大会のダーク・マッチに出場し勝利を収め、9/27にタイトルに挑戦し敗北。

中邑真輔らによる2009年1月4日新日本東京ドーム大会への対戦要請に呼応して、三沢、杉浦、秋山、佐野が出場した。が実は後にドーム参戦はノアからのオファーだったことが発覚した。その後のノア興行に中邑、ミラノコレクションA.T.、天山広吉、金本浩二、ライガーが参加。さらに2009年に開催されたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに、ノアの所属選手として菊地毅、青木篤志の2名が初参加している。

10/12、蝶野のデビュー25周年記念試合で、蝶野、武藤、小橋がトリオを結成。中西学、小島聡、秋山準がトリオを結成して対戦。ノア、新日本、全日本のメジャー3団体による豪華な6人タッグマッチが行われた。

2011年に入り新弟子の養成について実質的な提携を行う方針が明らかにされるなど(詳細は後述)、現在は比較的関係は良好であるといえる。


全日本プロレス

一時期は交流はあり得ないと考えられた全日本プロレスとは、三沢らの全日本離脱の一因となった馬場元子が全日本の経営から離れて、武藤が社長であることなどの理由で、2004年に交流することになり、同年7月に三沢と武藤のタッグ対決、その後、三沢が4年ぶりに古巣に参戦して小島聡と対戦。10月には、武藤のデビュー20周年記念興行で三沢が武藤とタッグを結成した。

以後、VOODOO-MURDERSや佐々木健介、中嶋勝彦、曙、NOSAWA論外、MAZADAなどといった全日系フリーのユニットや選手がノアマットに次々と上陸している。中には全日認定の王座を保持したままノアの大会へ出場することもある。鈴木みのる/三冠王者=2006/12/10・日本武道館、近藤修司/世界Jr.王者=2006/11/1・後楽園ホールなど。後述のディファカップといった、単発興行での接触もあった。

2008/9/28の全日本プロレスの興行で、丸藤正道が土方隆司の持つ世界ジュニアヘビー級王座に挑戦し、タイトルを奪取したが、翌年カズ・ハヤシに敗れ王座陥落した。

2009/8/30、両国国技館で開催された2009 プロレスLOVE in 両国 Vol.8に小橋建太と菊地毅が2000年6月の全日退団以来、9年ぶりに参戦。小橋建太、菊地毅、伊藤旭彦 vs 小島聡、KAI、大和ヒロシの6人タッグが行われた。9月27日、日本武道館で行われた三沢追悼興行に武藤が参戦。田上と社長タッグを組み、高山善廣とタッグを組んだ小橋と初遭遇した。

2010年に入り、新日本・全日本・ノアの3団体で調整が進められていた共通ライセンス構想から全日本が一方的に離脱したことなどから、ノア側が全日本に不信感を抱き一時交流が断絶。しかし2011年の東北地方太平洋沖地震を契機に関係が徐々に改善しつつあり、同年4月に開催される全日本のチャンピオン・カーニバルに秋山準が参戦するなど、一部で交流が再開した。


健介office

2005年の東京ドーム大会に佐々木健介と中嶋勝彦が初参戦。以降もスポット参戦していたが、2008年からはプロレスリング・セムの共同開催を始め、グローバルタッグリーグへのシリーズ参戦など本格的な交流を開始している。

2008年の9月に佐々木がGHCヘビー級王者に君臨したり、その後も頻繁に門下生を派遣するなど、自主興行数が少ない健介office所属選手の主戦場の一つとなっている。


ZERO1-MAX

ヘビー級はZERO-ONE時代に、橋本真也や大谷晋二郎、田中将斗らが参加。ジュニアヘビー級に関しては、ZERO1-MAXの親会社であるファースト・オン・ステージとノアの共催で行われたディファカップでの繋がりから、日高郁人と藤田ミノルが参戦するようになった。KENTAや杉浦貴、菊地毅らがZERO1-MAXに度々参戦している。

FOSの中村祥之代表とノア首脳とのパイプはFOSがグローバル・レスリング連盟設立案をノアに持ち込んだ辺りまではその関係が強かった。プロレスリング・セムの興行に日高を送り込んだり、GPWA興行で若手の混成タッグを結成したり、大谷が小橋欠場で空位になったGHCタッグの新選手権決定トーナメントなどに村上和成(ビッグマウス・ラウド)とのコンビで出場していたが、2007年に齋藤彰俊が火祭りに参戦して以降、交流が途絶えている。現在は主に新日本との交流を中心としている。


IWAジャパン

IWA・JAPANの浅野起州オーナーは元全日本のプロモーターであり、その縁もありノア旗揚げ直後は頻繁に選手を派遣していた。近年は交流が途絶えていたが、2010年10月にIWA側がUMA軍とノアの対抗戦を申し込み、ノア側では新ブランド「HONA」による選手派遣という形でこれに応じることとなり、久々に交流が復活している。


みちのくプロレス

丸藤正道がザ・グレート・サスケと対戦し、今後の交流にも含みを持たせたことがあったが、その後両団体の交流はない。2007年7月には単発ながら同団体所属の気仙沼二郎がノアの気仙沼大会に出場している。


キングスロード

三沢たちがかつて所属した、全日本プロレスが掲げていた「王道」をその名に冠する団体であることなどから交流の可能性は皆無と見られていた。しかし、2006年4月の同団体の興行に三沢を含め4選手が参加することとなった。

その後キングスロード自体がZERO1-MAXに吸収されるような形で終焉を迎えた。最終的に倒産に至ったという点から結果的に助けたことにはならなかった。


ビッグマウス・ラウド

柴田勝頼は2005年11月のGHCタッグ選手権試合にKENTAのパートナーとして、12月のBML第二回興行ではノアに所属する直前の齋藤彰俊が出場している。2006年6月のBML第六回興行では丸藤と森嶋が出場した。

2006年8月に柴田が退団。ノアにてKENTAとのタッグ再開を予定していたが、その後柴田は総合格闘技に活動の中心をシフトさせたため、事実上柴KENタッグは空中分解したと見る向きは多い。ただしKENTAの弁によると両者の交流は完全に途切れたわけではないらしい。同年10月には村上和成、臼田勝美、原学がノアマットに上陸、村上は三沢とシングルで対戦した。そのことを裏付けるかのように、村上らは同じGPWAの主幹団体であるZERO1-MAXにもほぼ同じ時期からレギュラー参戦しており、村上は同年11月のGHCタッグ選手権王座決定トーナメントにもZERO1の大谷晋二郎とのコンビでノアに再上陸、更に同じくZERO1の高岩も含めたトリオで12月の横浜大会にも引き続き参戦した。村上は翌2007年にも丸藤の呼びかけに対して乱入という形で参戦を果たし、6月の横浜大会では暴走の果てに丸藤に勝利したが、その後、怪我をきっかけに出場が途絶えた。

もう一方の上井が興した興行、UWAI STATIONの旗揚げ戦にはノアの常連フリー系選手の高山善廣、鈴木みのる、SUWAがタッグを組んで出場、さらには直前に行われたノアのシリーズに参戦した外国人選手のブライアン・ダニエルソンも同じく出場している。


DRAGON GATE

ディファカップなどで単発的な接触はあったが、共に業務提携しているROHの日本ツアーにおいてノアが東京大会、DGが大阪大会をサポートした。

2007年にはGHCジュニアタッグ王者の鼓太郎&マルビン組に土井&吉野組、新井&岩佐組、堀口&土井組が連続して挑戦し、その後再挑戦した土井&吉野組がタイトルを奪取した。

このGHCを巡る争い後には関係が一旦途絶えている。


DDTプロレスリング

同様にディファカップ等での単発的な接触はあったが、それ以外ではプロレスリング・セムの興行に飯伏幸太が、ノアでの選手会興行で男色ディーノが秋山準のセコンドとして出場。2007/4/1のDDTの大会に丸藤正道が男色ディーノと組んで、KUDO、マッスル坂井組と戦い、所属選手初のDDTマット参戦を果たした。5月6日に開催された「ディファフェスタ」のDDT主催興行(Cruiser's Game)にもKENTAが出場し、KUDOとシングルマッチを行った。逆に同年6月-7月のシリーズでは飯伏がノアマットに会場限定ながらシリーズ参戦を果たし、丸藤とのタッグでノア初となるジュニアのタッグリーグ戦に参加している。その後も選手派遣等の交流が続き、12/9のDDT新潟フェイズさよなら興行には三沢がシークレット扱いで、鈴木鼓太郎と共に初参戦を果たした。


無我ワールド・プロレスリング

西村修、吉江豊が新日本所属時代にスポット参戦したことはあったが、無我旗揚げ以降は接触が無かったが、2007/9/9の大会において、三沢&潮崎組と藤波辰爾&西村組の特別試合が行われた。

三沢と藤波は2005/5/14の新日本プロレスの大会においてタッグを結成。対戦相手は蝶野正洋&獣神サンダー・ライガー組であった。正真正銘の初タッグながらスムーズな連係を見せ、最後はライガーを三沢のダイビング・ボディ・プレス→藤波のグラウンドコブラツイスト、という流れで仕留めている。この後、再びタッグマッチという形で2年4か月振りの再会が実現した。現在はノアとは関係を絶っており、新日本等の他団体と交流している。


大日本プロレス

デスマッチ路線のため直接な交流はないが、2011年3月、ドイツの団体wXwへ潮崎と鼓太郎が遠征時には、大日本のストロングスタイルである関本大介、佐々木義人が合流。直接対決はなかったが、同行していた李日韓(大日本レフェリー)が、潮崎、鈴木の試合をレフェリングしている。


WWE

WWEとは、副社長を務めるジョニー・エースがノア関係者とは旧知の仲とあって森嶋、潮崎供にWWEのトライアウトに出場している。しかし両者ともあえなく不合格。ノアのレベルの低さを露呈する結果となった。


その他海外の団体

アメリカ
WLW、ROH、PWIと業務提携を結んでいる。2007年の記者会見にて、TNAとも関わりを持つことを示唆しており、同年10月のサモア・ジョー参戦しGHCヘビーシングルに挑戦した。
メキシコ
AAAと業務提携を結んでいる。
イギリス
FWAと業務提携を結んでいる。
ドイツ
wXwと友好関係にある。
大韓民国
KWF(韓国レスリング同盟)と友好関係にある。

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人材不足
従来は新弟子募集を行っていなかったため、20代前半の若手レスラーが不在である。セコンドにつく若手レスラーも健介オフィス所属レスラーに頼りきる状態になっている。このため、所属レスラーの平均年齢は上昇傾向にある。若手のように扱われるレスラーもほぼ30代前半で、20代後半の選手は片手程もいない状態である。
若手の人材不足のため、2009年から2010年にかけて主力級の所属レスラーが相次いで故障して離脱者がでた穴埋めを、他団体やフリーのレスラーに頼る状態になっている。
2011年より三沢威(新日本プロレスメディカルトレーナー)が主宰する「新日本メディカルトレーナー協会」と協力して新人育成のためのプロレスラー養成所を開設する方針を明らかにしており、今後はこれが実質的な新弟子募集となる。
ヘビー級レスラー間の格差
小橋らトップレスラーと中堅・若手のレスラー、特にヘビー級での人気・実力差が依然として残っており、このような課題を改善するための方策として、2005年後期にはシングルマッチが増加し、2006年からはローテーションを組んだ若手のヨーロッパ遠征を取り入れている。2006年のプロレスリング・セムの設立も、対応策の一つである。
2007年12月2日の武道館興行にて、小橋が復帰することが伝えられたが、発売日即完売となった。この興行後、コメントを出した全ての選手が「小橋さんの力に負けた」「小橋さん頼りなのはどうにかしないといけない」という旨のコメントを出している。
他団体や外国人選手の扱いが良いとは言えない。これまでに外国人選手がGHCヘビー級チャンピオンになったことはない(ノア旗揚げ時に、ベイダーらを除く外国人選手の大半は全日本に残留した)。
首都圏と地方間の人気格差
東京都を中心とする関東と、その他の地方間の人気格差も課題のひとつである。タイトルマッチをはじめ、主要カードの大半が日本武道館を始めとする首都圏の会場で行われることが多く、首都圏にファンが集中するため、首都圏での興行が優先され、結果として地方とマッチメイクや試合のクオリティに差が生じ集客に伸び悩むという負の循環が見られる。その裏付けのひとつとして、団体のフラッグシップタイトルであるGHCヘビー級王座は2002年9月に高山善廣が大阪興行で第4代王者に戴冠してから2009年6月に潮崎豪が福岡興行で第15代王者に戴冠するまで約7年、11代に渡って日本武道館以外の会場で同王座のタイトル移動が起こらかった。(防衛戦は首都圏以外の会場でも行われているが、ほとんどが格下選手のチャレンジマッチであった)さらにノアではその地方で観客動員数が低かった場合、次は規模の小さい会場を使用することが多く、後述の兵庫や愛知の他に、北海道や福岡での興行も規模縮小を行って続行している。そのため、近年はますます首都圏にビッグマッチが集中するようになっている。
日本武道館を使用しているプロレス団体は、現状のところ日本ではノアのみであり、観客動員10000人以上の規模の会場で興行を継続的に行っている団体もノアと新日本、全日本、DRAGON GATE、DDT以外存在しない。しかし、神戸ワールド記念ホール、愛知県体育館などでは同会場における他団体の興行と比較して観客動員は芳しくない。さらに近年では日本武道館大会も満員を記録することが困難になり代わりにJCBホールが使用されることが多くなっているがそれでも会場は埋まらない。特に2010年3月27日の千葉大会は空前の不入りとなり話題となった。
地上波放送打ち切りによる大幅な収入減
2009年3月をもって日本テレビでの中継が打ち切り。大幅な収入減となりその補填のための資金繰りに苦しんでいる。三沢体制下では選手の解雇は原則として行っていなかったが、三沢の死後、田上体制に移行してからは2009年末日をもって菊地毅、泉田純至、本田多聞、川畑輝鎮、志賀賢太郎、橋誠らに対し事実上の解雇を行った。ただし、志賀のみ専属フリー選手として継続出場となり、その他の選手達もフリー選手としてスポット参戦している。これらの選手は2009年から契約解除されるまでの間、所属選手ではなく専属フリー選手として契約していたことが発覚しており、出場機会も減少していた。

新企画

2005年末に4人の新人がデビューし、若手選手の出場機会の減少が危惧される。その対抗策として、丸藤やKENTAなど若手を中心にした興行「プロレスリング・セム」が発表された。初回興行は2006/3/21。常設であるディファ有明を半分ほどに仕切り、300 - 500人規模で行う。リングマットの色は、ノアで用いられる緑ではなくピンクと紫が使用される。サプライズとして他団体の選手やベテラン選手も参戦する場合がある。初の試みとして、これまでセムはディファ有明のみで行われてきたが、2007年8月には春日部市に於いて、入場無料で興行が行われた。現在ではグローバルレスリング同盟加入の多団体交流戦の形で、ノア以外の団体が主催で開くこともある。

2007年、summer navigation 07よりノア内初のリーグ戦、「日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」を開催。7/1ディファ有明から7/15日本武道館まで開催。このリーグ戦はその後若手のシングルで争われる「モーリシャス杯」、トップのヘビー選手がタッグで競う「グローバル・タッグリーグ戦」など、少しずつ拡大してきている。

2008年には若手選手育成で、旧全日本プロレスでジャンボ鶴田、2代目タイガーマスク(後の三沢光晴)、秋山準、小橋健太らがこなした「7番勝負」の復活版として「谷口周平の驀進10番勝負」、「青木篤志の閃光10番勝負」を開催。この両名は2007年末に行われた「モーリシャスカップ」で上位2位に入った特典として与えられたもので、1年間をかけてベテランレスラーを相手にそれぞれに10試合ずつの試合をこなす。1年以上かかったものの10番勝負は終了し、その結果は谷口が10戦全敗、青木が1勝9敗だった。

海外進出

小橋や丸藤などがアメリカのWLWやROHに出場したり、ヨーロッパ各地を転戦するなどレスラー単位での海外進出は行われていた。2006年度より、本格的に海外進出を行うことが発表された。その第一段階としてアメリカに現地法人を設立し、物品の販売を行う。

2006年春に英語版の公式ウェブページを開設。ヨーロッパ、ハワイ、台湾などでも、試合中継が放送されている。

これまで他団体に選手を派遣する形のみであったノアは、ダグ・ウィリアムスらの協力を得て、2008/6/21(現地時間)に、イギリス・コヴェントリーで初の海外興行を行った。会場には2400人のファンが集まり、日本と同じく「コーバーシッ!!」「ミッサーワ!!」のコールも起こり、紙テープも乱れ飛んだ。試合後、ファンから「プリーズ・カム・バック!!」コールが起こった。

海外武者修行

1990年代以降、当時の全日本プロレスは鎖国体制を取っており、田上・小橋以降の世代はノアに移籍するまで海外遠征の経験がない者がほとんどであったため、ノアでは提携団体を中心に積極的に海外への選手派遣を行っている。ただし2002年に大森隆男が無期限遠征中に無断でWWEのトライアウトを受けた事件も起こっており、長期遠征に対しては慎重な態度を取っている。

2006年より、ノア名義でイギリスにアパートを借りている。これはノアにも参戦しているダグ・ウィリアムスのコネクションでイギリスで行われる大会に若手選手を派遣するためだが、小橋や丸藤らがアメリカに遠征して試合を行ったり、三沢らがヨーロッパの大会に参戦する形とは違い、「イギリスに行く」以外は何も決まっていないまま、若手選手を派遣。通常、海外遠征には渉外部長である仲田や通訳が同行するが、このプランについては選手のみが派遣され、言葉も通じない、電車の切符も買えない状況となる。仲田曰く「かつてロッキー羽田さんたちが行っていた海外留学を再現させた」。選手達に一回り大きくなってもらおうという配慮であるが、非常に過酷である。現在は就労ビザの関係で欧州を中心にローテーションを組んで若手を派遣する形となっている。アメリカでは就労ビザが比較的高価なため、修行という形で若手選手を派遣するのは割に合わないそうである。メキシコなどにも参戦している。

これまでは長期遠征に関しては、大森の例もあり慎重な態度を崩していなかったが、業務提携しているROH側からのオファーがあったことから、若手の潮崎豪を2008年の年明けから、武者修行という形で一時ROHに派遣した



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